2022-01-29 11:19 | カテゴリ:YouTube
一回目:家督を継ぐまで
二回目:吉田郡山城の戦いまで
三回目:第一次月山富田城の戦いと養子と謀略で勢力拡大まで

まだ戦国大名にすらなっていません。
しかし、今回は驚くような悪逆非道な謀略で勢力を拡大し、謀神の名を欲しいままにする様子が分かります。
一代でのし上がるにはこのぐらいぶっ飛んでないといけなかったんでしょうね。
でも本人は『三子教訓状』(三人の息子に宛てた手紙)で「この厳しい戦国時代、平凡な自分が毛利の家を生きながらせる事が出来た理由が分からない」って書いてるんですけど、「いやどう考えても父上がヤバイ事を平然とやって来たからだろ」って息子達は突っ込んだ事でしょう。

↓その原文はこちら
「私、元就は二十歳のときに兄の興元に死に別れ、それ以来、今日まで四十余年の歳月が流れている。その間、大浪小浪に揉まれ毛利家も、よその家も多くの敵と戦い、さまざまな変化を遂げてきた。そんな中を、私一人がうまく切り抜けて今日あるを得たことは、言葉に尽し得ぬ程不思議なことである。我が身を振り返ってみて格別心がけのよろしきものにあらず、筋骨すぐれて強健なものにもあらず、知恵や才が人一倍あるでもなく、さればとて、正直一徹のお陰で神仏から、とりわけご加護をいただくほどの者でもなく、何とて、とくに優れてもいないのに、このように難局を切り抜け得られたのはいったい何の故であるのか、自分ながら、その了解にさえ苦しむところであり、言葉に言い表せないほど不思議なことである。」

息子達「( ゚д゚) ポカーン」



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