2021-07-25 09:01 | カテゴリ:所見日記
名所史跡巡り滋賀編四回目は観音寺城と小谷城です。

一般的には無名ですが二つとも日本五大山城に入ってます。
日本五大山城って高くて規模が大きかった山城が認定されています。
ですので、両方とも山頂まで車で行きます。
ただし、小谷城は山頂の駐車場が狭く行楽シーズンはシャトルバスでしか行けず、終わるのが早いので早めに行った方がいいです。

観音寺城は城主の六角氏が戦わずに織田信長に無血開城し、その後廃城になったので無名です。
また六角氏は家中の国人の独立意識が強く常に下剋上の不安があったため、観音寺城まで攻められるようなピンチになると、戦わずに甲賀等に逃げていたため、観音寺城が強いお城だったのかどうかは不明です。
高所にある上に総石垣だったので強いはずだったのですが・・・
戦国時代には珍しく、しかも高所にあるにも関わらず山頂に城主と家臣が住んでいたお城です。
六角氏は家臣の裏切りや他勢力の脅威に晒されており、常に臨戦態勢だったからです。
そのため、天空の城塞都市の様相でした。
しかし、信長は観音寺城には見向きもせず、峰続きで小さい安土山にお城を作るし、秀吉も観音寺城には見向きもせず、近くの八幡山に新しい山城を築きます。

小谷城は下克上で京極氏から北近江の実権を奪った浅井氏の居城です。
三代目長政は織田信長の妹と結婚しているのに信長を裏切った事で攻められます。
小谷城攻めでは羽柴秀吉が一番活躍し、その恩賞で浅井の旧領が与えられました。
秀吉はすぐに長浜城の築城を開始し小谷城は廃城になっただけでなく再利用されないために徹底的に破壊されたため、遺構がほとんど残っていません。

信長は新しい城・城下町を作るのが好きで、それが天下人の役割、また経済効果があったという事で、それを秀吉も踏襲したため、中世からあるような古い縄張りの山城・城下町は廃止される傾向があります。
それが観音寺城・小谷城が忘れ去られた要因です。

コロナ暑さで四連休は家で五輪という人も多いでしょうから、せめてこの動画で普段絶対行かないような山城に行った気分になって下さい。



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