塩漬けマンの株奮闘記
脱サラ農家が経済的フリーを目指して投資を始めるも、投機(マネーゲーム)に目覚めてしまい、日々投機を頑張り、ついに農業も辞めて専業投機家になってしまったブログです(`・ω・´)キリッ ただの備忘録日記ですので、銘柄を書いても、買い推奨ではありませんし、むしろ危険なので買わないで下さい。「株価の騰落は神のみぞ知る」で誰も分かりません。裁量トレードは大部分の人に取ってゼロサムゲームどころかマイナスゲームですのでやらない事をお勧めします(´・ω・`)しょぼーん
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2013-11-16 14:43 |
カテゴリ:所見日記
再来年の大河ドラマって吉田松蔭の妹だそうですね・・・
さすがに歴史オタクの塩漬けマンもそんな人知りません。
かすかな記憶に「確か久坂玄瑞の嫁が松蔭の妹だったような・・・」ぐらいのものです。
誰が見たいんでしょう・・・
というか、今年の大河で散々「会津は逆賊じゃないっ!」って耳にタコが出来るぐらいしつこく言って、長州を悪役にしときながら、再来年には早くも会津は逆賊に逆戻りですか・・・
『篤姫』で旬の女優を主人公にする味をしめた
『江 ~姫たちの戦国~』で史実を無視しちゃ駄目な事を学んだ
『八重の桜』でやっぱり幕末だなっと思った
じゃあ幕末で女傑で行こう!・・・NHKの考えはこんな所でしょうか・・・
そもそも、こないだの直江兼続も、来年の黒田官兵衛も塩漬けマン的には「???」って感じです。
もっともっと主役にふさわしくて、盛り上がるのがいるじゃないですか。
島津義弘(もしくは島津四兄弟)です。
ここからは歴史オタクの戯言ですので、長くなりますので、興味ない人は華麗にスルーして下さい(´・ω・`)しょぼーん
まず前半は、竜造寺隆信(佐賀の方)、大友宗麟(大分の方)と戦う九州国取り合戦となります。
従って、九州全体が盛り上がります。
しかも大友宗麟は大河の主役はれる級のキャラだし、敵役としてうってつけですよね。
自分はほとんど戦わず、毎日酒宴の乱痴気騒ぎをしながら、外交・謀略・優秀な家臣を駆使で大友家最大の版図を築き上げたという・・・またキリシタン王国を作ろうとしていた個性溢れる大名。
大友との戦いでは、以下のすごい武将達との激戦が見れます。
・立花道雪・・・武名が東海地方まで届き、武田信玄をして「会ってみたい」と言わしめた。雷に打たれて半身不随となりながら、雷神の加護があると、その部隊は無敵を誇った。
・高橋紹運・・・立花道雪と並び称される大友家の名将。怒涛の勢いで北進する島津軍を岩屋城で半年も足止めする。援軍を断り、全員死ぬまで戦い、最後は自らの腹を切り、臓腑を島津軍に投げつける壮絶な最後を遂げ、島津軍の兵士に涙まで流させたという逸話を持つ。
・立花宗茂・・・高橋紹運の子で立花道雪の娘誾千代と結婚して立花家の養子になり、秀吉に「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と言わしめた。主家である大友家が没落する中、江戸時代は筑後柳河藩の初代藩主となる。
後、NHKの大好きな女傑枠もあります。
・立花誾千代・・・立花道雪の娘で父譲りの武優で7歳にして立花城の城督を継ぐ。朝鮮出兵時に名護屋城で秀吉が手込にしようと呼び寄せるが、武装して乗り込んで手を出させなかったとか。関ヶ原の戦いの時は自ら武装して出陣し加藤清正軍と対自、進軍を止める。
竜造寺との戦いでも、鍋島直茂等の名将との戦いは胸が躍りますよね。
後、倭寇の頭目、王直も出せます。
種子島にポルトガル船が漂着して鉄砲が日本に伝わったのは有名ですが、その船に通訳で乗っていたのが五峰と名乗っていた王直なのです。
王直はじめ、長崎や博多商人、ポルトガル・スペイン等が出てきて、壮大なスケールの大河ドラマになります。
そして後半戦は人気の高い豊臣秀吉・徳川家康と戦うので、最後まで人気を維持する事が出来ます。
豊臣秀吉の九州出兵では、まだ大河ドラマで出ていない名将との戦い(戸次川の戦いで長宗我部信親を討ち取って、遺骸を引き取りに来た長宗我部家臣の谷忠澄に対して行った厚遇とかの泣けるエピソード等)が見れますし、島津義弘は島津家が降伏した後も秀吉軍相手に孤軍奮闘する大活躍。
島津義弘は朝鮮出兵では、泗川の戦いで、20万の明・朝鮮の大軍を7千で破り、「鬼石曼子(おにしまず)」と恐れられ(人数は諸説あり)、露梁海戦の戦い(講和が成って、日本軍は次々と釜山から撤退していたのに、急遽明・朝鮮軍が全力で日本軍総大将の小西行長を討つために攻撃を仕掛けてきたため、島津義弘・立花宗茂が中心となって小西救出軍を編成したため、漁船や輸送船で戦うことになった)では、朝鮮水軍の主将・李舜臣(韓国三大英雄の一人)を討ち取る(韓国では、義弘に討たれたってなったらかっこ悪いので、自殺したことになっている)戦果を上げて、小西行長を逃がす事に成功(なぜか韓国では露梁海戦の戦いは明・朝鮮軍が大勝したことになっている)。
さらに島津義弘のトンデモ武勇伝は続きます。
関ヶ原の戦いでは、西軍で参加しつつも、関ヶ原でほとんど戦わなかったのですが、西軍の敗北が決まった後の撤退戦でとんでもないことをやってのけます。
普通撤退って敵のいない所から、コソコソ逃げますよね・・・義弘は違います!
「敵方優勢なるはどこか?」と聞き、「東の方優勢なり」との報告を受けると、なんと東の方に突撃を開始したのです。
しかもなんとたった300人で・・・
その東の方にいたのは、まずはあの福島正則。福島隊を突破すると、目の前に現れたのは、なんと徳川本陣。守るは旧武田家臣団を併合して赤備えで武装した最強騎馬隊を要する徳川四天王、井伊直政と生涯57回の合戦で刀傷一つ負わなかった猛将で徳川四天王、本多忠勝。
島津軍は捨て奸と言われる決死の退却戦を行い、なんと、300人で徳川本陣中央突破に成功し、勝利に浮かれる徳川家康に冷や水を浴びせて、80人になりながら薩摩に帰り着きました。
しかも撤退戦の最中に、徳川本陣に使者を使わして「お先に失礼します」的な挨拶をして礼儀は欠かさず。。。というかおちょくってますよね。
この時、大阪から立花宗茂の船に乗せてもらったのですが、立花家の家臣は「父上(高橋紹運)のかたきを討つ絶好のチャンス!義弘を殺そう!」と進言しました。
しかし「敗軍を討つは武家の誉れにあらず」と宗茂はむしろ義弘を護衛して九州に送り届け、恩義に感じた義弘は九州で東軍(鍋島直茂・加藤清正・黒田官兵衛)に攻められて、窮地に陥っていた立花家を救うために、援軍を出すという、熱い漢と漢の友情も描く事が出来ます。
その後、長兄の島津義久の硬軟織り交ぜた見事な外交戦(書くと長いので省略)によって、関ヶ原で負けた西軍では唯一の本領安堵を勝ち取り、島津家は幕末まで存続し、幕末にまた活躍するのはご存知の通りです。
戦の天才四男家久の事とか、まだまだたくさんエピソードがあって、1年じゃ描ききれないぐらいのスケールなのに、大河ドラマにならないなんて・・・おかしいと思います。
朝鮮出兵で韓国に嫌われているからかなぁ~。
というわけで、ここまで読んでくれた物好きな人はいないと思いますが、万が一いらっしゃったら、最後の力を振り絞って以下をクリックして頂けると幸いです(´・ω・`)


さすがに歴史オタクの塩漬けマンもそんな人知りません。
かすかな記憶に「確か久坂玄瑞の嫁が松蔭の妹だったような・・・」ぐらいのものです。
誰が見たいんでしょう・・・
というか、今年の大河で散々「会津は逆賊じゃないっ!」って耳にタコが出来るぐらいしつこく言って、長州を悪役にしときながら、再来年には早くも会津は逆賊に逆戻りですか・・・
『篤姫』で旬の女優を主人公にする味をしめた
『江 ~姫たちの戦国~』で史実を無視しちゃ駄目な事を学んだ
『八重の桜』でやっぱり幕末だなっと思った
じゃあ幕末で女傑で行こう!・・・NHKの考えはこんな所でしょうか・・・
そもそも、こないだの直江兼続も、来年の黒田官兵衛も塩漬けマン的には「???」って感じです。
もっともっと主役にふさわしくて、盛り上がるのがいるじゃないですか。
島津義弘(もしくは島津四兄弟)です。
ここからは歴史オタクの戯言ですので、長くなりますので、興味ない人は華麗にスルーして下さい(´・ω・`)しょぼーん
まず前半は、竜造寺隆信(佐賀の方)、大友宗麟(大分の方)と戦う九州国取り合戦となります。
従って、九州全体が盛り上がります。
しかも大友宗麟は大河の主役はれる級のキャラだし、敵役としてうってつけですよね。
自分はほとんど戦わず、毎日酒宴の乱痴気騒ぎをしながら、外交・謀略・優秀な家臣を駆使で大友家最大の版図を築き上げたという・・・またキリシタン王国を作ろうとしていた個性溢れる大名。
大友との戦いでは、以下のすごい武将達との激戦が見れます。
・立花道雪・・・武名が東海地方まで届き、武田信玄をして「会ってみたい」と言わしめた。雷に打たれて半身不随となりながら、雷神の加護があると、その部隊は無敵を誇った。
・高橋紹運・・・立花道雪と並び称される大友家の名将。怒涛の勢いで北進する島津軍を岩屋城で半年も足止めする。援軍を断り、全員死ぬまで戦い、最後は自らの腹を切り、臓腑を島津軍に投げつける壮絶な最後を遂げ、島津軍の兵士に涙まで流させたという逸話を持つ。
・立花宗茂・・・高橋紹運の子で立花道雪の娘誾千代と結婚して立花家の養子になり、秀吉に「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と言わしめた。主家である大友家が没落する中、江戸時代は筑後柳河藩の初代藩主となる。
後、NHKの大好きな女傑枠もあります。
・立花誾千代・・・立花道雪の娘で父譲りの武優で7歳にして立花城の城督を継ぐ。朝鮮出兵時に名護屋城で秀吉が手込にしようと呼び寄せるが、武装して乗り込んで手を出させなかったとか。関ヶ原の戦いの時は自ら武装して出陣し加藤清正軍と対自、進軍を止める。
竜造寺との戦いでも、鍋島直茂等の名将との戦いは胸が躍りますよね。
後、倭寇の頭目、王直も出せます。
種子島にポルトガル船が漂着して鉄砲が日本に伝わったのは有名ですが、その船に通訳で乗っていたのが五峰と名乗っていた王直なのです。
王直はじめ、長崎や博多商人、ポルトガル・スペイン等が出てきて、壮大なスケールの大河ドラマになります。
そして後半戦は人気の高い豊臣秀吉・徳川家康と戦うので、最後まで人気を維持する事が出来ます。
豊臣秀吉の九州出兵では、まだ大河ドラマで出ていない名将との戦い(戸次川の戦いで長宗我部信親を討ち取って、遺骸を引き取りに来た長宗我部家臣の谷忠澄に対して行った厚遇とかの泣けるエピソード等)が見れますし、島津義弘は島津家が降伏した後も秀吉軍相手に孤軍奮闘する大活躍。
島津義弘は朝鮮出兵では、泗川の戦いで、20万の明・朝鮮の大軍を7千で破り、「鬼石曼子(おにしまず)」と恐れられ(人数は諸説あり)、露梁海戦の戦い(講和が成って、日本軍は次々と釜山から撤退していたのに、急遽明・朝鮮軍が全力で日本軍総大将の小西行長を討つために攻撃を仕掛けてきたため、島津義弘・立花宗茂が中心となって小西救出軍を編成したため、漁船や輸送船で戦うことになった)では、朝鮮水軍の主将・李舜臣(韓国三大英雄の一人)を討ち取る(韓国では、義弘に討たれたってなったらかっこ悪いので、自殺したことになっている)戦果を上げて、小西行長を逃がす事に成功(なぜか韓国では露梁海戦の戦いは明・朝鮮軍が大勝したことになっている)。
さらに島津義弘のトンデモ武勇伝は続きます。
関ヶ原の戦いでは、西軍で参加しつつも、関ヶ原でほとんど戦わなかったのですが、西軍の敗北が決まった後の撤退戦でとんでもないことをやってのけます。
普通撤退って敵のいない所から、コソコソ逃げますよね・・・義弘は違います!
「敵方優勢なるはどこか?」と聞き、「東の方優勢なり」との報告を受けると、なんと東の方に突撃を開始したのです。
しかもなんとたった300人で・・・
その東の方にいたのは、まずはあの福島正則。福島隊を突破すると、目の前に現れたのは、なんと徳川本陣。守るは旧武田家臣団を併合して赤備えで武装した最強騎馬隊を要する徳川四天王、井伊直政と生涯57回の合戦で刀傷一つ負わなかった猛将で徳川四天王、本多忠勝。
島津軍は捨て奸と言われる決死の退却戦を行い、なんと、300人で徳川本陣中央突破に成功し、勝利に浮かれる徳川家康に冷や水を浴びせて、80人になりながら薩摩に帰り着きました。
しかも撤退戦の最中に、徳川本陣に使者を使わして「お先に失礼します」的な挨拶をして礼儀は欠かさず。。。というかおちょくってますよね。
この時、大阪から立花宗茂の船に乗せてもらったのですが、立花家の家臣は「父上(高橋紹運)のかたきを討つ絶好のチャンス!義弘を殺そう!」と進言しました。
しかし「敗軍を討つは武家の誉れにあらず」と宗茂はむしろ義弘を護衛して九州に送り届け、恩義に感じた義弘は九州で東軍(鍋島直茂・加藤清正・黒田官兵衛)に攻められて、窮地に陥っていた立花家を救うために、援軍を出すという、熱い漢と漢の友情も描く事が出来ます。
その後、長兄の島津義久の硬軟織り交ぜた見事な外交戦(書くと長いので省略)によって、関ヶ原で負けた西軍では唯一の本領安堵を勝ち取り、島津家は幕末まで存続し、幕末にまた活躍するのはご存知の通りです。
戦の天才四男家久の事とか、まだまだたくさんエピソードがあって、1年じゃ描ききれないぐらいのスケールなのに、大河ドラマにならないなんて・・・おかしいと思います。
朝鮮出兵で韓国に嫌われているからかなぁ~。
というわけで、ここまで読んでくれた物好きな人はいないと思いますが、万が一いらっしゃったら、最後の力を振り絞って以下をクリックして頂けると幸いです(´・ω・`)


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