2022-01-22 11:47 | カテゴリ:YouTube
前回に引き続き、『戦国武将を完全に詳細に解説するシリーズ 毛利元就』編の二回目です。

一回目で家督を継ぐまで、二回目で吉田郡山城の戦いまで・・・なんとまだ戦国大名にすらなっていません。
因みに毛利元就の代名刺、厳島の戦いは四回目になりそうです(笑)
とんでもない大作になってます(´・ω・`)ショボーン



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2022-01-16 09:20 | カテゴリ:YouTube
最近名所史跡巡りの動画上げてないじゃないですか。
コロナで旅行したくないってのもありますが、ちょっと方向転換して、その県の名所を全部回るのではなく、広島旅行では毛利元就に絞って旅行して、『戦国武将を完全に詳細に解説するシリーズ』の動画を作ってみました。

島根旅行した時に毛利元就について調べたのですが、元就は筆まめで暇さえあれば書状を書いてたせいで沢山残っており、また「陰徳太平記」という江戸時代の軍記物なので信憑性は置いといて、かなり詳しい歴史書があるので研究が進んでおり、情報を得やすいので面白いのです。

今回は動画の構成を先に作って、その動画で使う風景を取るための場所に行くという旅行をしました。
まずは一回目・・・なんと、一回目で毛利元就が家督相続をする所までという長編になります。



因みに、毛利元就の次は島津義弘をやりたいのですが、この旅行は大変ですよ!
鹿児島・宮崎は勿論、岐阜(関ケ原中心に)、そして韓国・・・には行かないけど、行くところが多すぎです!
2年ぐらい掛かるかも。ただ、毛利元就に比べて詳細に分かっている事が少ない(ネットに出てないだけかも)ので、毛利元就に比べたら短い動画になりそうですが。

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2021-08-01 08:16 | カテゴリ:YouTube
名所史跡巡り滋賀編最後はやっぱり国宝彦根城。
その前に長浜城と佐和山城もです。

長浜城は水城で全く残っていないので無名ですが、羽柴秀吉が初めて築城した出世城です。
佐和山城は鎌倉時代からの古いお城で石田三成が大改修をして近世城郭にしましたが、彦根藩主となった井伊家によって、彦根城が出来た時に徹底的に破壊されたので遺構はほとんど残っていません。

最初登った時はあまりに簡単に登れて「しょぼい山城だな」って思いましたが、当時は琵琶湖に面していた上にそれなりに高い山が石垣で覆われて「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」と称賛されていました。

観音寺城もですが、鎌倉時代からあるような古い縄張りの山城や城下町は戦国時代以降になると嫌われて廃城になり、新しい城や城下町を作る時に建築資材として建物が移築されるので、跡形もなくなってしまいます。

そうして建てられた彦根城は、周辺のあらゆるお城・仏閣等から建物が移築され、つぎはぎだらけの城となっており、しかも天守閣も小さいです。
しかしそれはわざとで、彦根城の天守閣は大津城からの移築ですが、江戸城の天守閣が五階だったのでそれよりも低くするために五階建てだった大津城天守閣を三階建てで移築しているのです。

天守閣の中は小さくて狭いので観光客でごった返します。
その上、「80度ぐらいあるんですけど・・・」って体感の崖のような急な階段(多分敵が攻めにくいようにわざと)で渋滞するので、行楽シーズンに行くとかなり混むと思います。

しかし姫路城と比べて天守閣がしょぼいからといって、彦根城を舐めてはいけません。
公儀御奉行3名が付けられ、7か国12大名に築城命令が下され19年掛けて作られた天下普請です。
その凄さは天守閣始め建物よりも石垣や琵琶湖の水を引いた堀等に現れています。



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2021-07-11 10:30 | カテゴリ:YouTube
名所史跡巡り滋賀編三回目はついに安土城です。

本能寺の変後、天主閣はすぐに焼け落ちて、さらに羽柴秀吉は近くの八幡山に新しいお城を築き、城の建物も城下町も安土城から移築させ、安土城は廃城になったので、遺構がほとんど残っていないと思っていたのですが、思いのほか石垣が残っててびっくりしました。



総石垣で作られたお城で、初めて石垣で作った天守台の上に天主閣を築いたお城でもあります。
※安土城だけ天守閣でなく天主閣と言う。

どうして石垣が他の城等を作る際に再利用で崩されずに残ったかと言うと、おそらく城郭中枢部にあった摠見寺が焼け落ちずにずっと現存してて、安土城全域が摠見寺の境内になったので、石垣が再利用とかの破壊を免れたのかなって思います。
現在も安土山全域が摠見寺の所有地となっており、ご厚意によって観光客に開放されています。

後、安土城は標高は低いし、城郭中枢部への道が幅6mと広く、約180mもの直線で攻めやすかった事から防御性に乏しいと言われています。
安土城大通り

しかし、当時は琵琶湖の内海に三方を囲まれ、もう一方は湿地帯で、琵琶湖に浮かぶ水城であったため、防御性は実は高かったのではないかと思われます。

↓今は埋め立てられていますが、当時は琵琶湖の内海に突き出した半島が安土山でした。
20210710安土城1
↓安土城復元図
安土城復元図2

さらに、同じく水城の坂本城(明智光秀)、長浜城(羽柴秀吉)、大溝城(津田信澄:織田信長の甥)から琵琶湖を使えばすぐに援軍に駆け付ける事が出来、もはや琵琶湖全域で一つのお城状態。
20210710安土城2

安土城と言えば、日本初のイルミネーションが行われたので有名。
20210710安土城3
「七月十五日、安土城の天主閣および惣見寺にたくさんの提灯を吊るさせ、また、お馬廻り衆を新道に配置し、または入り江に舟を浮かべさせて、それぞれに松明を灯させた。城下一帯が明るく、灯は水に映って、言いようもなく面白く、見物の人々が群れ集まった。」『信長公記』

ただ、やはり守る城というよりは、信長を神として祀る神殿で、宗教的権威として魅せる城だったと思われ、羽柴秀吉はこれでは徳川家康とは戦えないと判断したのか、近くで標高が高く(標高283m、比高100m)現在はロープウェイが通ってる程険しく急峻な上に、当時はここにも琵琶湖の内海が東西に面しているという防御性がかなり高い立地の八幡山に新しいお城を作っています。

安土城と言えば世界初の木造高層建築にして、贅の限りを尽くした絢爛豪華な天主閣が有名です。
狩野永徳始め、当代一流の絵師の書いた襖等で飾られ、もはやお城というより神殿・美術館。
その復元されたのが、近くの「安土城天主 信長の館」で展示されています。
スペインセビリア万国博覧会の日本館のメイン展示として作られ、なんとそれまでの万国博覧会史上もっとも多い入場者520万人を記録したという凄いのを見る事が出来るのです!!
写真撮影してもいいけどネットに上げるのはダメって事なので、見せられないのが残念です。
ていうか、万国博覧会史上最多入場者の展示物が見れるって普通に考えてバリュー過ぎなので絶対に行った方がいいです。

行けない人は公式HPで少しだけですが見れます。
安土城天主 信長の館

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2021-06-27 08:58 | カテゴリ:YouTube
名所史跡巡り滋賀編②は日吉大社と近江神宮です。
日吉大社は比叡山延暦寺に属していたおまけぐらいに考えていたのですが、大間違いで、大神神社・出雲大社と並んで、いつ作られたのかも分からないぐらい古い神社で比叡山が出来る前から凄い神社でした。

おそらく古代近江の豪族が信仰していた大山咋命が祭神です。
しかし、同格の神として大和の神、大己貴神も祭っており、近江豪族 VS 大和朝廷の勢力争いが類推されます。
また、近江は天智天皇が都を作った事から、一時期政治の中心地にもなります。
その近江大津宮の跡地に建つのが天智天皇を祭神とする近江神宮です。



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