2016-09-19 01:54 | カテゴリ:雑談
最近の大河ドラマの合戦シーンがしょぼいと土曜日に書きましたが、昔の大河ドラマの合戦シーンを見つけました。
葵徳川三代で描かれた関ケ原の戦いです。

迫力の合戦シーンのみならず、役者のセリフとか演じ方からして今のおちゃらけた大河ドラマと全然違いますよね。
このぐらいの気合で真田丸でも第二次上田合戦を描いて欲しかったのですよ。

一時間の長い動画ですが、関ケ原の戦いが克明に描かれています。
小早川秀秋を呪いながら自害した大谷刑部の最後もしっかり描かれています。

何気に好きなのは吉川広家。
小早川秀秋以上の裏切り者との評価もあります。
だって家康本陣の背後に陣取っていた毛利勢が全力で家康本陣に襲い掛かっていたら戦局は変わっていましたし、何より、本家が家康と戦ってたら、小早川秀秋も養子とはいえ、本家を裏切れないです。
この動画では味方から出陣を催促されて頑張って断っているのが吉川広家です。
毛利家は毛利元就の次男吉川元春と三男小早川隆景が毛利本家を支える両川体制となっていました。
元春から家督を継いで毛利両川の片翼を担う事になった広家ですが、頼りにしていた叔父小早川隆景が死に、小早川家は秀秋(豊臣秀吉の甥)が養子入りし、もはや一人で毛利家を支えないといけなくなっていました。
にも拘わらず、当主毛利輝元は安国寺恵瓊にそそのかされて西軍の総大将になり、なんとか家康に内応して本領安堵の約束をとりつけ、関ケ原で戦ってはいけないという、孤独な闘いをしていたのです。

最後には島津義弘の島津の退き口もしっかり描かれていました。
わずか数百の手勢で戦場に残されて、敵に囲まれた島津義弘が、選択肢は撤退しかなく、普通は敵の薄い所から逃げるのに
「敵方優勢なるはどこか?」
と言い、
「東の方優勢なり!」
との答えを聞いて、なんと西へ逃げるのではなく、東へ突撃し、それはなんと、徳川家康本陣であり、奇跡の敵本陣敵中突破を成し遂げます。
この時島津軍が取った戦術が『捨て奸(すてかまり)』
数人が留まって全滅するまで敵と戦い、味方の逃げる時間を稼ぎ、それが全滅すると、さらに数人が留まって全滅するまで戦うという、一騎当千の島津軍でしか成し得ない決死の作戦により、徳川勢【井伊直政(来年の大河ドラマの主人公井伊直虎に育てられた名将)、松平忠吉(徳川家康四男)、本多忠勝(ご存知真田信幸の義父にして、生涯57回の合戦に及びかすり傷一つ負わなかった猛将)】の執拗な追撃を振り切り、義弘は戦線離脱に成功します。


※この動画見て思い出しました。真田丸で完全無視されてる史実ですが、石田三成の嫁と真田昌幸の妻は姉妹なんですよね・・・

真田丸でも大阪冬の陣、夏の陣では、これ以上の凄い合戦シーンを期待していますよ!

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