2020-07-11 10:18 | カテゴリ:YouTube
名所史跡巡り島根編三回目は石見銀山です。
そして、その中にある山吹城が思いがけず、今まで行った中で一番危険なガチでヤバイ山城でした。
ほんと、行って良かったなって思いました。



山吹城は、時々の支配者によって、城主は変わっていますが、沢山いる城主の中に、歴史に埋もれた、もしかしたら戦国時代で一番合戦が上手かったかもしれない名将がいます。
裏切りの名将、本城常光です。
石見の国人であった本城常光は、時々の情勢により、尼子経久→大内義隆→尼子晴久→毛利元就と裏切りに次ぐ裏切りで主君を変えます。
しかし、尼子晴久配下となっていた時に、外様の国人に過ぎなかったのに、その戦上手を買われて、石見銀山防衛のため、山吹城の城主に抜擢されました。
譜代の重鎮のような厚遇です。

それに応えて、本城常光は、石見銀山を奪うために侵攻してきた、毛利元就・吉川元春連合軍を二度に渡って破り(忍原崩れ、降露坂の戦い)
※毛利元就と吉川元春は基本的に戦に負けたことがない常勝将軍ですから、彼らに二連勝って、武田信玄に二度勝った村上義清並みに凄いです。しかも降露坂の戦いは圧勝で、毛利元就は命からがら敗走しています。
戦上手ぶりを発揮しますが、雲芸和議で尼子義久に見捨てられ、毛利元就の調略に乗り、毛利方に寝返りました。

周辺国人の軍事的・精神的支柱でもあった、本城常光が毛利方に鞍替えした事により、石見のみならず出雲の国人までこぞって毛利方に寝返りました。
しかし、かつて第一次月山富田城の戦いの時、戦の最中に大内方から尼子方に寝返り、大内大敗の原因を作ったのも、本城常光でした。
この時、大内軍に参加していた毛利元就は殿を務め、九死に一生を得て命からがら郡山城に辿り着きました。
第二次月山富田城の戦いに際して、再び本城常光が裏切り、第一次月山富田城の戦い敗北の二の舞になる事を恐れた毛利元就は、本城常光を誅殺しました。
これにより、本城常光と一緒に尼子方を裏切っていた国人衆が、再び尼子方に復帰し、第二次月山富田城の戦いは4年も掛かりました。
※戦国時代前期は戦いの主力は農民である足軽であり、田植えと稲刈りがあるので、春・秋は戦が出来ないため、基本的に半年を超える遠征は出来ない。
※毛利元就が戦国時代前期では前例のない4年にも渡る出雲遠征(第二次月山富田城の戦い)が出来たのは、勿論、石見銀山の銀の力と思われます。
本城常光を誅殺していなければ2年で終っていたとも言われていますが、敗北していたとも言われており、歴史のIFとなっています。

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